ネタの宝庫! インディア
ナマステ~
突然ですが!恒例の!
うえてぃはどこだ!
はいよ!
見つかりましたかな〜???
答えは
トドン!
左下のココです〜!
ということで
インド 来ちゃいました!
インドといえば
バターチキンカリー!!!!
激ウマです〜
もちろんお店では〜
クリケット上映してます〜
さて、デリーに来たのは
インドに来たからにはやっぱ
タージマハル でしょ
てゆ〜いかにも初心者的な発想から
ということで
インド歩きのお供にタイで買った
199バーツ(約700円)の高級スニーカー
スリー ステップ ダイ
訳: 3歩で死ぬ
を履いてタージマハルの街 アグラー
を目指します
電車は片道1500ルピー以上もする超高級電車
お食事付きです
こちら、おいしくもまずくもありません
2時間弱でアグラー駅到着
駅で見つけた日本人に声をかけ
車を1日チャーターします
エアコン付き
て言葉に踊らされて一台1500ルピーで
1日チャーターしましたが
後々考えたらオートリキシャの方が
俄然 断然 モーレツに!
安いですね…
しかもエアコンの効き悪くて
暑過ぎて窓開けちゃいます
さらに、助手席によくわからんおっさん勝手に乗ってきて
突然ガイド始めます
インドあるあるです
そうこうしてたらアグラカント駅着きます
マハル様までの道のりは
赤砂のキレイな街並みです
んでも!!!!
客引きヤバいです
ハローマイフレンズ!
ゆーて、めっちゃ寄ってきます
たくさんのフレンズを
ガン無視し
はい、着きました
タージマハル
この門をくぐると
え?
ええ〜!?
えええええ〜!!!?
超キレイですね
タージマハル様
このタージマハル
お城じゃなくてお墓なんですね〜
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンさんが
若くして亡くなった奥さんのムムターズ・マハルさんのために作った
総大理石のお墓
なんという深い愛でしょうか
22年もの月日をかけ
20000人以上を動員し
すんごい莫大な費用をかけ
建設されたそうです
ほんで、自分はこの対岸に
ブラックタージマハル
として自分のお墓をも〜っと高い宝石で作ろうとします
でも夢半ばにして
息子のアウラングゼーブによって
アグラフォートに幽閉され
そのままなくなったそうです
こちらアグラフォート
アグラフォートの窓?からは
遥か彼方にタージマハルを目視することができます
ここからタージマハルを見て
シャージャハーンはなにを想っていたのでしょうか…
…
などなどという話は
勝手に乗って勝手にガイドをしていた
おじさんから聞かされます
もちろんおじさんお墨付きの
怪しいバザールにも連れて行かれます
…
……
バザールてゆーか…。
ほんでうさんくさいテレビショッピングみたいなん聞きます
でもエアコンと飲み物ついて
意外と楽しめます
別れの間際におじさん聞いてきます
アーユーハッピー??
答えます
イエス
おじさん言います
アイメイクユーハッピー
ナウ ユーメイクミーハッピー
魂胆が見えてきます
……。
おじさん続けます
ギブミー ベリーグッドチップ
勝手に乗ってきただけですよ、おじさん
インドあるあるです
チップの要求ハンパないです
こちら本日偶然にも取れた
スーパーインスタ映え写真
青春@アグラフォート
です
ということでお金を使い過ぎた悲しみを
ガンジス川に流すべく
今夜の夜行で
バラナシに向かいます
ルアンパバーンを離れてインドにIN!!
ナマステ〜!!!
ついに言えました! この一言。
ナマステ〜!です。
と、いうことで現在ついに4カ国目
インド
デリーにいます
今夜デリーを出てバラナシに向かいます
もっかいだけ言います
ナマステ〜
でも実際は
ハロー
って言ってます
そっちのが通じる気がしてます
昨日、今日とほぼ移動で終わったので
この日記はラオスのハイライトをします
街全体が世界遺産に登録されている
ラオス北部の古都に
4日間滞在しておりました
ラオスはなんもないからつまらんよ
という意見と
なんもないからいんだよ〜
という意見と
賛否両論聞きましたが
個人的にはラオス
超好き
です
こちら、ルアンパバーン随一の観光地
というべき
クァンシーの滝
はい、美しいですね〜
自然のドクターフィッシュが
臭い足の角質を
掃除してくれます
足をあげてみるとあらビックリ
臭いままでした…
こちらラオスのノラ動物たち
動物もラオスに来たら骨抜きです
こんなにも無防備な動物たちを
見たことがあるでしょうか?
いや、ない!
しかし!
食事中は常に外敵に狙われます
こちら村?町?の中の様子
ラオス人みんな穏やかで優しいです
ラオスのなにが好き?
て聞かれたら
間違いなく
人! て答えますね、わたし
今まで行った国の中で
一番現地の人と距離が近いな〜フレンドリーだな~
と感じる国でした
こちらラオフード
エントリーナンバー1 ラープ
#激ウマ!
エントリーナンバー2 カオソーイ
#ウマーベラス
エントリーナンバー3 焼き鳥?
#間違いない
最後にラオスの美しい自然を
雨季なので綺麗な夕日こそ見れませんでしたが
人の優しさと豊かな自然と
周りから聞こえる子どもたちの笑い声に
癒される国でした〜
お次からはネタだらけの国
インド編でございます
やっと3カ国目
サバイディー
日本を離れて約1ヶ月が経ちました
そしてやっと3カ国目
に到達しました!!
最初は陸路でラオスに入ろうかと思っておりましたが
陸路でのラオスインは
20時間の山道の悪路越えと名高く
チェンマイで2度目のキラキラタイムを迎えたわたくしは
シンキングタイム約5秒で
フライトでの入国を選択しました!
ということで
昨日夕方ルアンパバーン空港に降り立ち
荷物をホテルに置いてすぐに
サンセットを見に
プーシーの丘へ向かいます
こちらで夕焼けはまだかまだかと待っていたところ
外国人を捕まえて
一生懸命英会話する子どもたちを発見
捕まえて話を聞いてみると
外国人とコミュニケーション取って一緒に写真を撮ってこい
との宿題が出ていた模様…
なんと画期的な宿題でしょうか…
目から鱗でございました
夜はナイトマーケットをチラ見します
ラオス料理
非常に美味でございます
そして翌朝は
5時起きして托鉢を見に行きます
托鉢とは
出家した修行僧が街を歩きながら
人々から施しを受けて回ることだそうです
朝、寺院から出てきた僧侶が列を使って歩き
僧侶が持っている鉢に
町の人や観光客が
もち米やらなんやらを
入れていくやつです
子どもの僧もいます
僧侶たちはもらうだけではなくて
ときには施しを分け与えます
その光景に自然と感慨深くなります
この時点でもう随分
ラオスらぶ
て感じでしたが
そのあとお散歩してたら
かわゆすなキッズや
ビューティフル ビューを見て
ラオス愛は深まるばかりです
夜はネットで見つけた
Big Brother Mouse
というところに行ってきたのですが
ルアンパバーンに来た観光客が
ボランティアで地元の人の英語の練習のため
地元の人たちと英会話をするという
なんとも画期的な施設
英語がいうほど話せないわたくしも
勢いで飛び込みます
しゃべっていて思います
あんたらのが数倍話せますな!!!
もうしわけございませんな!!!
とな!
プーシーの丘の子どもたちもですが
なによりその意欲に感動させられます
そしてビックリしたのは
え?
僧侶も来るの〜?
僧侶も英語話せるの〜?!!!
てことです
結果、僧侶の色々をみんなで聞く会
みたいになりました
ラオスでは僧侶に女性は触れてはいけません
僧侶は結婚できないそう
生き物を殺さないので
ご飯も人から受けた施ししか食べれません
朝の托鉢で得た食料や
人から受けた施しを取っておき
1日2回に分けて食べるそうです
学校には行けるけど
女の子と触れ合えないから
僧侶専門の学校に行くのが主流だそう
出家し、寺院に住み
そこから学校へ行くそうです
奥が深い…
自然も豊かで料理もおいしい
人も穏やかで優しいラオス
2日目にしてなかなか
ハマりましたとさ
めでたし めでたし…
少数民族の暮らしとは??
わたくしがただ今滞在しております
タイ北部の町チェンマイでは
モン族、カレン族をはじめとする
多くの少数民族が住んでいるそうです
ということで
ソンテウを1日チャーターし
少数民族に会いに山の上まで行ってきました!
ソンテウ1日チャーターは
3人で600バーツ
1人約700円弱となりました
ということで今日の相棒のソンテウ
運転手のおっちゃんには全く英語通じません
最初はロングネックビレッジで!
とお願いしたところ
見事に
ドイ・プイ
という村へ連れてってくれました
このドイ・プイへの道が
険しい山道すぎて
わたくし早くも
この旅二度目のキラキラタイム
を迎えます
着いたときには瀕死状態…
とりあえず注文もしないカフェで寝ます…zzZ
少し立て直し観光します
花や草木に囲まれた癒し系ビレッジ
ドイ・プイ村には
モン族
という山岳民族が住んでいます
タイの民族の中でも
すんご〜く古くからの歴史を持つ民族で
多くはミャンマーとタイの国境付近に住んでいるそうです
モン族といえば
色鮮やかな刺繍や民族衣装が印象的
村では細かな刺繍が施された雑貨を買うことができます
こちら村のキンダーガーデン
ちっちゃな子どもがお昼寝タイムでした
道中でかわゆすぎる子どもに出会います
赤い民族衣装衣装の子どもは
『ハロー』
という言葉だけを巧みに使いこなし
『ワッツ ユア ネイム?』
『ハロー』
『ハウ オールド アー ユー?』
『ハロー』
という見事な返答ぶりを見せます
なんということでしょう
超かわゆす
必殺技の折り紙で
仲良くなりました
もちろん、別れ際も
『アイ ガタ ゴゥ。 バーイ!』
『ハロー』
でしたがね
次に向かったのは
ドイ・ステープ
という寺院
チェンマイで1番有名なお寺だそうです
お寺までキラキラ第2ラウンドが始まります
やっと着いたと思いきや…
とどめと言わんばかりの階段………
だがしかし!!!
その先にあったのは
なんとも美しい気品溢れる
ゴールデンテンプル!!
旅の無事をこちらの翡翠色の仏様にお願いします
そのあとまたグネグネガタガタの険しい山道を通ります
せっかく旅の無事を祈っても
キラキラは止まりません
ゴールデンテンプルのご利益でしょうか
もうなにを言っているのかわかりません
次に向かいましたのは
テレビでも有名なカレン族の村
ロングネックビレッジ
でございます
こちらこの村の学校と思われます
カレン族は通称首長族として
テレビなどでもよく知られています
ですが、必ずしも全員が首に飾りをつけているわけではないそうです
半農半漁の昔ながらの自給自足をベースに質素な生活を送っているそうですが
その暮らしぶりはなかなか厳しいそうです
チェンマイのロングネックビレッジに住む
観光業で生計を立てています
そのため入村料は500バーツ
日本円にして約1700円
我々観光客は
お買い物をしながら
写真を撮らせてもらいます
途中でかわいい女の子がいたので
秘技シャボン玉
で一緒に遊びます
かわいいです
10歳だそうです
ですがこのロングネックビレッジの人たちは
先ほどのドイ・プイ村に比べて
全体的になんだか疲れてるような気がしました
あくまで個人的な見解ですが…
毎日、たくさんの観光客が訪れ
その少し変わった風貌から
少数民族だと珍しがられ
たくさん写真を撮られ
わたしも撮らせてもらいましたが…
観光業で生計を立てていたとしても
毎日、毎日、たくさん知らない人に
笑顔を向けるのは楽じゃないなぁ〜と
思いましたとさ
だからといってなにかあるわけではありませんが
そもそも多くの少数民族は
宗教や生活の違いから迫害され
難民として国境付近の山奥まで避難してきています
少数民族と呼ばれる人たちの伝統を
守っていくことは
なかなかハードルが高い
それを身をもってやってるこの村の人たち
ほんますごい!!きっと熱い人らに違いない!
と思いました
さてそんなこんなで
いろいろ考え複雑な気分になった翌日の今日は
チェンマイのナイトバザールへ
途中で出くわしたインスタ映えスポットで
なにやら懐かしい気持ちになりました
きっとなにやらピンとくる人もいるでしょう
みんなの成長と幸せを祈りつつ
わたくしは明日ラオスに旅立ちます
グッナイ
アイム イン チェンマイ ナウ パート2 美食編
さてさてそれでは、わたくしが
美食の国 タイ
でいただきました
数々の料理をランキング形式で
ご紹介したいと思います
第10位
ガパオライス
10位なんて嘘!!
もはや同率1位のお味
第9位
酸っぱ辛いお汁とエビ様がベストマッチ
正直、隣の空芯菜サマの方が好きです
第8位
マンゴーシェイク
タイのマンゴー、めっちゃおいしいです〜
今までマンゴーは
トイレの芳香剤臭いと思っていた
わたくしの価値観、変わりました
第7位
タイカリー
やっぱりカレーに間違いはありません
カレー好きに悪い人いません
第6位
マンゴーチーズケーキ
チェンマイのアムリタガーデン
てとこで食べれます
オシャンティ&うまい!
ホールでかぶりつきたいくらいのうまさです
第5位
ロティ
揚げクレープのようなものです
練乳きいてて超美味です
おばちゃんがこうやって作ってくれます
甘くてまいう〜です
でもこのおばちゃんには
この後ボラれました
通常10バーツで食べられるロティを
70バーツで売りつけられるという…
ロティの味は涙のお味…
第4位
パッションフルーツをヨーグルトに入れたもの
パッションフルーツ、うまし!!!
情熱の果物なだけ、あります〜
酸っぱうまい!
青春の味しました!!
第3位
生マンゴー
間違いありません
うまいです
第2位
一言でいうなら、神っ!!!
こんなおじさまが作ってくれます
そして映えある第1位は!!!!
ドルルルルルルルァァァァア
ダンッッッッ!!!
コヤニスカッティ オーナーのヒロさん作
らーめん
魚介の出汁が効いてて超美味
本格派!
これぞわたくしがチェンマイに来た理由!
感動
の一言です
ということで、タイ美食ランキングは
カオソーイなどの麺類をダントツで突き放し
まさかの日本食、らーめんが圧勝!
という結果になりました
めでたし、めでたし
アイム イン チェンマイ ナウ
どうもどうも
おひさしぶりの日記更新です〜
別に日記をサボっていたわけではないのですね〜
ここ最近あまりにものんびり過ごしすぎて
更新する内容がないよ〜う
というわけでして〜…
そんなこんなでわたくし今
タイ北部の町
にいます
タイのバンコクでちょろっと観光して〜
ダラけて〜
チェンマイ来て〜
ダラけて〜
おいしいご飯に舌つづみ〜
といった毎日を送っています
そろそろマジメに旅をしようと思います
と、いうことで
今回の日記はわたくしの
ただの観光&美食日記となります
まずはバンコクにて
こちらメークロン市場といいますが
なにが不思議かといいますと
線路の上で市場してます〜
そんで
電車来たら
ヤバヤバ〜って
みんな焦ってお店たたむのですね〜
近っ…!
ってなります
でもそれ以上に
ふがっ!
ってなるのは
魚に、ハエ〜!!!!
帰りにはこの電車に乗ってみます
すると
観光客からアイドルばりに手を振られます〜
ヘイ ガーイズ!
ジャングルですね
そしてお次は〜
ワットパクナム
今流行りの
フォトジェニックな寺院だそうです〜
でもインスタ映えとかわからない
我々おばちゃん世代は
写真よりも
その涼しさに
昼寝しちゃいます〜 Zzz…
とか言ってバンコクでダラダラ観光してたら
ハイパー級のスコールに振られます〜
この後ひざ下まで浸かります〜…
そして恐ろしいのは
この浸水により
おGさんが!!!
大量のGKさんが!!!
住処を追われて大量に溢れ出すという事件が!
怖い怖い怖い
虫怖い
もうバンコクにはいられない〜!!!
そんなこんなで
朝一番の電車でバンコクをやっと脱出し〜
チェンマイにいます〜
チェンマイでは
てゆー日本人宿に泊まってるんですけど〜
ここのオーナーのご夫婦がめっちゃ優しくて
親戚のおうちに来たかのようにくつろげます
こちらにお住まいのイヌちゃんとネコちゃんも
かわいいもので…
つい長居してしまいそうです
さて、長い日記になりましたので
美食編は次回、ということで…
やまちゃん、ゆうちゃん
おめでとうございます
プノンペンでの真面目な話
サワディー カー
ということで
わたしはカンボジアを脱出し
まさかのタイに再入国しています
バンコクはすぐ出て次の国に行こうかなぁ〜て軽い気持ちで考えてましたが
昨日の嵐の中のフライトが揺れすぎて怖すぎてグロッキーで
軽くトラウマになりそうだったので
バンコクでちょいっとゆっくりしています
ということで、前回アップに失敗した
首都プノンペンでのお話を
ここ、プノンペンでは
たった二十数年前までカンボジアで起こっていた悲しい歴史を学ぶことができます
以下、歴史が超超超超苦手なわたくしが、カンボジアでざっくり学んだ歴史なので、
謝った解釈があるかもしれませんので
話半分て気持ちで読んでください
1970年代、当時豊かな農業国だったカンボジアは
ベトナム戦争の巻き込まれ、アメリカから激しい爆撃を受けてしまいます
一説によるとこの時、50万トンもの爆弾が投下され
国民の大多数が難民となったそうです
そんな政情不安定のとき、当時のロン・ノル政権に打ち勝ち、新しい政権を樹立したのが
クメールルージュでした
国民は新しい政権に期待し、ポル・ポトを歓迎します
ですが、それはさらなる地獄のような日々の始まりでした
かつてのような原始的な農村での生活を理想とし
プノンペンにいた都市住民の全ての財産を剥奪し、全員農村へ強制的退去させました
また、48時間以内に、学校、病院、警察署、宗教、音楽などの全ての娯楽などが、閉鎖あるいは禁止されました
見知らぬ土地で全てを奪われ農業を強いられ
充分な食事も与えられず多くの人が飢餓に苦しんだそうです
それだけでも充分信じられない話ですが
ポル・ポト政権は、知識人は政治の妨げになると考え
医師、教師、技術者
さらには
きちんとした教育を受けた人
外国語を話す人
眼鏡をかけている人
柔らかい手をしている人
など教養が少しでもありそうな一般市民を
次の村への移動と騙して強制収用し
嘘の自白を強要し次々と虐殺していきました
その嘘の自白をさせるための強制収容所の1つS21が
現在、プノンペンに
トゥルースレン虐殺博物館
として残されています
もとは学校だったこの建物ですが
S21に連れてこられた人は
大きな拘束具で拘束され動くことも声を出すことも許されず
多いときには1日3回以上の拷問を受け
嘘の自白を教養されました
この施設では残虐すぎる拷問の数々を
実際に見ることができますが
文字としておこすこともはばかられるような
悲惨なものでした
看守の1人は裁判で
『拷問をするときは何も感じなかった、
自分の心が
自分の行為を止めることはなかった』
と証言したそうです
幼い頃からの洗脳は
人としての心を麻痺させてしまうのでしょうね
そして、その後に人連れてこられる処刑場が
カンボジア各地に存在する
キリングフィールドです
キリングフィールドに連れて来られることは
人生の終わりを意味します
ですが、中にはこれでやっと終わることができると
喜ぶ人もいたそうです
多いときには1日300人もの人が
キリングフィールドに連行され処刑されました
罪のない人
女性も
生まれたばかりの赤ちゃんもです
殺害の方法も非道そのものでした
キリングフィールドでは
被害者の泣き叫ぶ声や断末魔の叫びなどをかき消すため
大音量で音楽が流されていたそうです
クメールルージュは
たった3年間8ヶ月で政権を追われましたが
その3年8ヶ月の間に300万人以上の人々を殺害しました
この慰霊碑の中には
犠牲者になって無残に埋められていた人々の
人骨や衣服が祀られています
だいぶオブラートに包んで書いたつもりですが
残酷さが残ります
驚くべきはこんなことが
たった20年ほど前まで行われていた
ということ
日本は戦争に関わった国として
後世に戦争の悲惨さを語り継ごうと
平和学習に取り組んでいます
ですが、戦争は過去のこと、として
捉えられがちです
虐殺はカンボジアだけに起こったことではなく
ナチスドイツなど
世界各国で起こっています
同じようなことが世界のどこかで
いつか起こるかもしれない
いつ起こってもおかしくない
ということを心に留めておきたいと思います
平和な世界はいつもあるものではなくて
今を生きるわたしたちひとりひとりが
力を合わせて作っていくものだと
改めて思いました
以上、写真少ない真面目すぎる報告でした