メキシコ・カンクンから5時間強 ラスコロラダスでインスタ映える!
ブェナス ノチェス~
あ~んど
FELIZ NAVIDAD!!
みなさま、良いクリスマスをお過ごしでしょうか?
私の現在地は変わらず
グアテマラ・アンティグアです
ペンション田代という日本人宿で
まさかの昭和末期生まれの同世代が集結し
さらに同郷の岡山出身も集う
というダブルパンチの奇跡に
年末・年始、クリスマスを
アンティグアで過ごすことに決めました
アンティグアのクリスマスイブには
夜中の12時に激しい花火が上がりました
街の全方向から花火が乱射され
360度、花火に囲まれた時には
花火の情緒というよりはむしろ
爆発のワイルドさを感じました
クリスマスに向けて2週間ほど前から
街の至る所で爆竹が鳴りひびき
連日シュールなパレードも行われています
ちょい長めの人たちと…
ほくろ…と
アボカド…??
すばらしい世界感
さすがに世界遺産の街は違います
岡山弁のネイティブな感覚を取り戻し
じゃけぇ、でぇれ~、わや
などの難易度の高い用語も
適宜使えるようになってきました
というわけで
本日の日記は
メキシコ・ユカタン半島にあります
通称 ピンクラグーン
ラス・コロラダス村のお話でございます
カンクンからラス・コロラダスへのルート
カンクンからNorEsteバスで3時間でティシミンへ
ティシミンという街でバスを乗り換えます
待ち時間が1時間あるので、付近をぶら~り
特になにもありませんが
ティシミンはメキシコらしいカラフルな街でした
ティシミンから1時間半ほどバスでゆられ
(このバスが極寒なので、要注意…
私はトレーナーにタオルを巻いた状態でも凍えました)
ラス・コロラダスへ到着
街?村?には恐ろしく何もありません
村を奥まで歩き進めると…
前方にピンクの湖が登場します~
もうちょい映える系のピンクを想像していましたが
なんか茶色い??青い??
でも確かにこれはピンクラグーンです
ちなみに、ラグーンの敷地に入るには
ガイドをつけないと入れません
ガイド料はおそらく下で100ペソ
私はティシミンで出会った中国・台湾人の人たちと
3人でシェアできたので
ひとり50ペソでした
ラグーン内ではなぜか
スマホのカメラしか使えない
というなぞのルールがあります…
ほんまになぞ…
ラグーン岸辺の謎の泡もなぞ…
ついつい疑惑が頭に浮上してしまいましたが
このラグーンのピンク色は
プランクトンで発生した自然の色だそうです
自然の可能性を信じたい気持ちで一心に信じます
お隣には優雅にフラミンゴが泳いでいます
ピンクラグーンは割と狭いので
ゆっくり見ても1時間半ほどで見終わります
帰りのバスは4時間後ですが
3人いたので、途中のティシミンまで
タクシーを拾って帰ることにしました
ですが、村がど田舎すぎて
『タクシーはあっちだ!』というセリフのたらい回しを受け
捕まえるまでに2時間ほどかかりました
さらに、ティシミンから乗ったカンクン行きの2等バスは
地元の人専用だったようで
途中下車と乗車を繰り返しカンクンまで5時間半の長旅に…
結局朝7:00にホテルを出て
再びホテルに帰ってきたのは夜9:30という
思わぬハードな一日となりました
翌日は昼まで死んだように過ごし
午後から、カンクン最大のビーチ
プラヤデドルフィネスへ
わたくしのフォト・コレクションをどうぞ
海の美しさは
ザ・カリブ海
と言ったところでしょうか
異臭を放つKEENも
深いターコイズブルーの前では
フォトジェニック…
ではないですね…
それでは本日の日記は以上でございます
With best wishes for Merry Christmas!!
アメリカのチャータースクールにて本物の情熱を見た日
アメリカ1ヶ月半滞在の最後の日記です
1ヶ月半といえば短いけど
今回の行程の中では長かったなぁ〜
いつかわたしが尾木ママを継いでテレビ出演した時には
カリフォルニアの夕日をバックにこう言うことにします
ここがわたしのアナザースカイ
日テレ系にご勤務のみなさん
よろしくお願いします
さて、冗談はさておき
アメリカでは
こんなんとか
こんなんとか
こんなのや
こんなの
あと、こんなので
YOUカロリー取っただけじゃん?!
と、思ってるみなさん
わたしはこう言われることもあろうかと
サンディエゴで学校見学をさせていただきました
ということで本日は
(ここから超マジメに書きます)
The Preuss School UCSD
というチャータースクールのお話です
そもそも
チャータースクール(charter school)とは
何ぞや?というお話ですが
チャータースクールとは
既存の公立学校(public school)でもなく
私立学校(private school)でもない
政府によって特別認可された
民間が運営する新しいタイプの公立学校です
チャータースクールの運営は
民間企業であったり、教員であったり、地域の人であったりと様々ですが
政府から特別認可をうけているため
教育に関する費用は無償です
設立の背景にはアメリカの公教育の経済格差があるようです
アメリカでは、収入や人種によって住む場所が異なり
経済的に豊かな人々が暮らす学校区では
潤沢な資金で充実した教育が受けられる一方
貧しい人々が暮らす地域では資金が捻出されず
公教育では充分な教育を受けることができないという
公教育の崩壊が大きな問題となっていたようです
そのため、チャータースクールで全ての教育を無償で行い
どんな家庭環境(貧富・人種・宗教・性的指向に関わらず)の子どもであっても受け入れることになっています
ですが、現在では残念なことにその大前提が崩れ
チャータースクールが一部の恵まれた家庭環境の人たちの
特別な教育の場になっていたりもするそうです
ですがここ、プレウススクールUCSDでは
『すべての子どもたちに平等な教育を』
ということを理念に
家庭環境に経済的に恵まれていない貧しい子どもたちを
いかに四年制大学までつなげるか
という挑戦をしています
そのため、プレウススクールでは
ある一定の基準以下の総収入の家庭の子どもしか受け付けない
という入学基準を設けています
中には
親が無職の子ども
ホームレスの子ども
などもいて、家庭環境は非常に複雑です
また、大抵の親は他国からの移民で
英語が話せません
出身国は中南米を始め
ラオス、カンボジア、ベトナム、エチオピア、ソマリアなど様々で
懇談や会議でも多種多様な通訳が必要となります
そんなプレウススクールの朝は
スクールバスでの送り迎えから始まります
子どもたちの多くは
物価の安い都市部から遠く離れた場所に住んでいます
住んでいる地域も様々です
ですが、学校まで送り迎えする車も
公共交通機関を使うお金もありません
そこで、プレウススクールでは
スクールバスを市内の至る所に網羅させています
ここにかなりのコストがかかるそうです
学校に着くと多くの子どもたちはまず食事をします
家でご飯を食べられない子が多いので
プレウススクールは朝ごはんとお昼ご飯を無料で提供しています
写真はランチですが
朝もヨーグルトにシリアルが入ったものとフルーツジュースなど
最低限の栄養が取れるようになっています
授業の様子です
語学の授業の始めにはKBARという読書の時間が
15分〜20分程度設けられています
これは子どもたちの語学力や読解力が
ネイティブかネイティブでないか
(スペイン語の授業でも同じように
スペイン語圏からきているか)
によって大きく異なるので
自分が選んだ本を自分のペースで読んで学ぶ
ということをするためです
また、このKBARの時間は
宿題をしていても、寝ていても
おしゃべりなどをしていなければ
暗黙の了解で注意はされません
これも家庭環境への配慮から
家では勉強する場所や道具や時間のない子たちのため
この時間を使って宿題をすることが許されているのです
英語(日本でいう国語です)の時間に出された宿題
新しい単語を絵で表現し、説明しています
子どもたちが自分で調べた単語を発表しています
(ちなみにこの時は同じprefixの単語を
いくつか調べてきていました)
発表を聞く様子も真剣です
発表された単語の定義を自分たちのノートにまとめます
日本のような学力入試は設けられていません
◆高校の成績
◆推薦状
◆エッセイ
◆課外活動への参加
◆面接
◆SAT(学力テスト)の結果
などが総合的に評価され、入学の可否が決まります
そのため、プレウススクールでは
授業の中で自分を表現する場を多く設けたり
ハイスクールではAPコースと呼ばれる大学進学を目指すための
難易度の高い授業を設けたりしています
こちらは6年生のクラスの様子です
(アメリカは5年生までがエレメンタリー
6年生〜8年生までがミドルスクール
9年生〜12年生までがハイスクールです)
ピクサーの動画を見て
新しい単語の定義やsynonymなどを考えています
低学年らしく良く手が挙がっています
他にも7年生のスパニッシュのクラス
8年生の英語のクラスなどを
見学させていただきました
高学年になればなるほど
発表が減り
ふせたり、携帯をいじったりする生徒が増えます
ここは日本と同じでした
スペイン語の授業では
授業の中で子ども同士で発表させたり
ペアを椅子とりゲームの形式で決めたりと
工夫が凝らされていました
また、何年か継続してその学年の授業を受け持っていた先生が
担任のような立場でクラスを担当し
生徒の悩みを聞いたり
他の授業担当の先生からのフィードバックをしたり
という時間も設けられているそうです
あと、合理的だな、と思ったのはこのパソコン
入り口のすぐ横にあり
トイレなどの途中退出の際に
子どもたちは先生に確認を取ってから
自分で退出・入室を打ち込みます
遅刻した場合なども
自分で責任を持って打ち込むようになります
どの学年の子ども達も
とても愛嬌がありかわいい子たちばかりでした
これは6年生の子どもがプレゼントしてくれたブレスレット
この輪ゴムで作るやつ流行ってるみたいです
公立中学校も経験した先生が
前の学校よりも仕事は
遥かにチャレンジングだと言っていました
家庭に問題を抱えている分
子ども達もその悩みが
イライラや無気力などの形で出ることも多いそうです
その分、公立学校のように
単に先生と生徒と境界線を作り接するのではなく
時には両親や兄弟のように見守ることが必要だそうです
その中でバランスを取って行くのが
とても難しいと言っていました
ですが、その分
やり甲斐もプレウススクールの方が
俄然大きいとも言われていました
特に、ずっと自分の子どものように見守って来た
生徒たちが巣立って行く時の感動は
他では味わえないと
プレウススクールを3日間訪問し
教育の平等のために挑戦し続ける先生方の姿から
たくさん刺激をもらいました
子どもが抱える悩みや問題に
厳しくも温かく寄り添い支えていく先生方
国が抱える問題に真っ向から立ち向かい
全ての子どもを救おうという教育理念
情熱を持つとはこういうことかと思いました
いつもどこか逃げ道を作り
言い訳をしてしまう自分に
しっかり喝が入る経験となりました
(この日本語合ってる?)
ということで長文失礼致しました
明日はグアテマラの古都アンティグアで
スペイン語学校見学へ行って参ります
アディオ〜ス
アメリカラストはサンフランシスコへ! おシャンティな街を満喫!
こんにちは
現在地はいまだメキシコのカンクン
グアテマラまでの安い航空券を買ったら
出発まで意外と長かったです
しかし、カンクン今日で最後!!
だから今日はイスラムヘーレス島は行こう!
と重い腰を上げてフェリー乗り場に行くと…
フェリーは故障中で出ていないとのこと…
Magana Expressで行こうとした人気をつけて…
もう1ヶ月以上運休しているそうです
そうなったら行く場所はひとつしかない!
ここです
少しクールダウンしてから
ドルフィンビーチでぐぅたらしようと思います
ところでメキシコでズキュンと一目惚れをして
とあるお土産を買いました
超可愛くないっすか
なんとも言えない表情…
まだ誰のプレゼントか決めていないのですがね
このセンスに賛同してくれそうなコアな人に
贈呈したいと思います
さて、本当の日記はアメリカ🇺🇸滞在ラスト
サンフランシスコ
です
San Francisco
ディビスに滞在していたあの若き頃
週末お世話になったサンフランシスコ
11年の時を経て
再びサンフランシスコへ!
11年て… 恐怖!!
小学校一年生が高校二年生になっちゃう年数…
サンフランシスコでは
ラスベガスに引き続き
2人の友だちとその相方さんのおかげで
苦労知らずの観光をさせてもらいました〜
本日のスペシャルサンクス〜
11年ぶりに再会
沙織嬢 と相方ゴウタさん
当時UCSDのクラスには2人の沙織がいたもんで
区別をつけようと、あだ名がつけられました
沙織嬢:かわいいちゃん
私:きもいちゃん
おぉぉいっ!そりゃねぇ〜ぜ!!
って思いきや
沙織嬢はサンフランのシャレオツなオフィスで働く
ハイスペックレディ
一方のわたしは
どこでも寝れちゃう住所不定無職
はい、納得です〜
当時から英語のしゃべれないわたしを
仲間に入れ、よく遊んでくれました
彼女もいまやICUのナース
みんなかっこえぇっすな!
ほいで連れてってもらったのは
有名な韓国料理のお店
スリザン? SURISAN?
超ガッツリでおいしかったので
今後サンフランシスコに行く方にはおすすめ◎
ご、ごちそうになりました…
それから、こちら定番
ギラデリスクエア
この後、メキシコに飛ぶことを考えて
買えませんでしたが
ホットチョコレートは美味でございました
お次に訪れましたのは
有名な坂!
ロンバートストリート
坂の上からの眺め
遠くにアルカトラズも見えます
もう少し上手に書けそうなSTOP
坂の下のお写真
………
伝わりませんなぁ〜…
これはネットの力を借りましょう
上手く撮るとこうなります
お次は
ペインティッドレイディース
おしゃれなお家の街並みを公園から見れます
おもしろい写真を撮るから高くジャンプして
とティファニーに言われて飛ぶも…
HIGHER!
MORE!
NOT ENOUGH! AGAIN!
最後は諦めます
どうせわたしは飛べない豚です
飛行機でしか飛べません
全然飛べてない…
アゴ出てるだけじゃんか…
犬かわゆす
日本でもお馴染みらしいブルーボトルコーヒー
確か神戸にもあります
フェリーに乗って
サンラファエルへ
対岸から見たダウンタウン
ゴールデンゲートブリッジ
夜はチーズフォンデュと蟹をごちそうに
この蟹がまためっちゃ上手い…
ごちそう様でした
翌日は信じられないくらい
雨がザンザンだったのですが
クレープバインで朝食
おいしいけど、超ガッツリ…
そのあと山??と湖に車で連れてってもらいました
山のハイキングコース
湖のほとり
普通に鹿出てくる
鹿公園ばり
これはターキー
これ食べたらおいしいのかな…
と、いうことで
ロサンゼルスに引き続き
サンフランシスコでも
お友だちにショーアラウンドしてもらい
優雅に過ごしてまいりました〜
この後、メキシコインし
約1ヶ月ぶりに1人になったもんで
数日は人ロスがヤバかったです
明日からはやっとこさ
22ヵ国目、グアテマラに飛び
スペイン語を学びたいと思います〜
旅行のペース撃遅ですね〜
では、アディオス〜
ロサンゼルスでロスっぽい3日間を過ごしたあの日
オラ〜
あ、これ、ファンキーな方のオラです
スペイン語のね
オルゥァァァアーーーーーー!!!!
って方のやつじゃないです
ややこしいですねぇ〜
現在地はメキシコ🇲🇽カンクンです
フォトジェニックな写真撮ってきました
KEENをはくと足が臭くなると
KEENユーザーの中でもっぱらの話題ですが
わたしも一概ではありません
KEENの日本語表記って
もはや菌なんじゃないかなって思ってます
はい、そんなこんなで本日は
アメリカ🇺🇸 ロサンゼルス にて
はい、はい
ロサンゼルスといえばこれですよねぇ
という2日間を
ロス在住のお友だちのおかげで
とても楽しく過ごしましたというお話です
スペシャルサンクスは
ラクロス時代の同期 あや様 です
学生時代の口癖は
じゃろーて
この言葉が流行り過ぎて
ユースの掛け声にもなったほど
そういえば10年前にも
あやの家にお世話になりましたな
あの頃はみんなで一部屋に雑魚寝
それはそれで最高でしたが
今回は素敵過ぎるお部屋と
暖かいお布団を用意してくれました
ありがとうございました
さて、昔を慈しむのはこれくらいにして
ロス観光はもちろんここから始まります
ハリウッドサインです
これをいい角度で撮るために
グリフィス天文台まで連れて行ってもらいました
グリフィスです
天文学はわかりませんが
英語の説明読んでもよくわかりませんが
はしゃぐ娘のちなちゃんがかわゆ過ぎました
暑さで途中から肌着になっていたのも
かわいいのでオールオッケー
お昼はガッツリアメリカンフードをいただきました
ベーコン!! 卵!! ポテト!!
うまくないわけがありません
こうして順調に体重を増やしていきます
帰国までに元に戻るのか本当に恐怖です
昼食後はメルローズアベニューの
今噂のピンクの壁で秒で写真を撮り
ウィッチハウスというやつです
ここら辺がマイケルジャクソンの家
という情報は得られましたが
もはや規模がデカ過ぎて
どこからどこまでが家なのかもわかりませんでした
見えたのは高い壁と植木のみです
翌日はビーチ巡り
まずはサンタモニカビーチ
ルート66の終着点
翌日がVeterans Day(復員軍人の日)
だったので
ビーチには無数のお墓の飾りが
軍人の自殺者の多さを示しているそうです
想像以上に多いです
それくらい過酷なんでしょうね〜…
マッスルビーチ
海辺にトレーニングマシンと
ムキムキのお兄様方が常備されています
いい景色!
ベニスビーチ
ほんで最後はこれ
みなさん、何かわかりますか
こちらララランドの撮影ポイントだそうです
うる覚えすぎてイメージわきませんでしたが
あぁ…確かに…
もっかい見直す必要がありますな
ほんでロス最後の締め
シメと言えばやっぱり
ラーメン!!!
久しぶりのラーメンがうれしすぎて
白ごはんと餃子つけたら
ほんまにお腹破裂する寸前でした
いいおばさんなのに
学生みたいな頼み方をしてしまった…
おのれの限界を知りました
ザボンらーめんって知らなかったけど
鹿児島のラーメンらしいですね
とてもおいしゅうございました
と、いうことで本日の日記は
ラーメンでシメさせていただきます
3日間本当にありがとう!
サンディエゴうるるん滞在記
フィリピンで高熱を出し寝込んだあの日も
ヨルダンの強い日差しと飢えに苦しんだあの日も
気付けばあなたはいつもわたしのそばにいてくれました
悲しいけど、もうお別れです
さようなら 今までありがとう
お別れはつらいけど
あなたの代わりがいないと困るので
新しい相棒を購入しました
ということで、愛着のあるキャップを
全力でサンディエゴに置いてきてしまいました
明日からは
ガソスタの店員さんみたいな
この新しいキャップと共に
旅をしていきたいと思います
現在地は メキシコ🇲🇽 カンクン
に着いたところです
午後6時ですが27℃
ついさっきまでいたサンフランシスコと
気温差が20℃ほどありますので
さすがにちょっと気分悪いです
ホテルのお兄さんが既にノリノリで
こりゃぁラテンアメリカに来たなぁ〜て実感してます
さて、本日の日記では
約1ヶ月半のサンディエゴ滞在を
1つの日記にまとめてしまうという大技に出ます
まず、サンディエゴでなにしてたかというと
カリフォルニア州立大学サンディエゴ校の語学学校に通ってました
みんなが持ち寄った世界各国の料理が並んでいました
ちなみにこのUCSD語学学校には
わたしが来るほんの1ヶ月前に
伊藤英明さんが通ってたらしいっす…
『仙崎ぃぃぃぃい〜!!!』
まじニアミス…
あとほんの少し早くサンディエゴに着いてたら
クラスメイトだったかも知らんのに
サンディエゴでは
一人暮らしのおばあちゃんのおうちに
ホームステイしていました
時期がちょうどハロウィンだったので
ご近所の飾りが楽しかったです
ハロウィンの翌日にポックリといく魔女
サダコ?
ハロウィンの当日には
トリックオアトリートのトリートの方しました
それではここからサンディエゴの観光地
バルボアパーク
ミラクル級に大きい公園
美術館も博物館もスペイン広場も日本庭園も動物園も
なんでもあります
楽しむにはお高い入場料が必要です
リトルイタリー
ほんまにリトルです
特にこれといったものはありません
ただ、朝市は試食天国です
前を通りすがるとなんかくれます
一緒に行った同じく放浪中のCさんと
朝市で全力で試食したのも良き思い出ですね
パーチアクアリウム
バーチかパーチかわかりませんが
水族館です
こじんまりとしていましたが
水族館です
玉野の水族館よりは大きめでしっかりとしています
オールドタウン
歴史的にサンディエゴは
メキシコからカリフォルニアに戦争の結果
割譲された地だそうです
オールドタウンにはメキシカンな文化が
沢山残されていてステキな場所です
ちょうど死者の日の翌日に行ったので
イベントをしていました
ミッドウェーミュージアム
日本人が行くと心苦しくなるところ
ミッドウェー海戦を足掛けとした太平洋戦争でのアメリカの勝利が
美談として説明されています
日本人のかつての罪を認めた上でも
美談としては語って欲しくない
悲しい歴史だと思います
コロナド
マリリンモンローとかその他もろもろ
有名な方々が訪れている
超高級ホテルリゾート
ここではインスタ映え写真が狙えそうです
どうでしょうか
まだまだ行けるぞと
カメラを構えていると
USAブーメランパンツを履いた
変なおっさんを発見
このサッカーボールを
フーフー言いながら走ってきて
何度も空振りしていました
やめてください
子どもが見ています
ちなみにサンディエゴは
美食の国メキシコとも隣り合わせです
国境を歩いて渡れば数分で
お隣ティファナにも行けます
ティファナは移民問題を抱えている街ですが
人は優しくご飯はおいしく物価は安いです
シーザーサラダ発祥のホテルがあり
最も歴史の古いシーザーサラダが食べられます
これだけなら意外とそんなに高くもありません
味は、普通にシーザーサラダでした
と、いうことでサンディエゴうるるん滞在記は以上です
明日は朝一から往復約10時間かけて
絶景を見に行ってまいります
アディオス!
国を守るか 命を取るか
突然ですが
日本の港に数千人の外国人が押し寄せ
自国では生きていけないから
日本に難民として受け入れて欲しい
と言われたら、どう思いますか?
数千人の外国人を受け入れるということは
大切にしてきた日本の伝統や文化は
多かれ少なかれもちろん薄れるでしょう
移民として受け入れた人たちが仕事を求め
少ない賃金で働くため
労働の最低賃金が下がるでしょう
将来的には人が増えすぎ、失業率が上がり
仕事のない人が増えるかも知れません
飢えて苦しんだ人が
万引きやスリなどの犯罪を犯し
犯罪のリスクが増えるかも知れません
その全てを踏まえた上で
それでもその人たちを受け入れるべきと
断言できるでしょうか・・・
これは今まさに、中南米と国境を共にする
アメリカ合衆国が抱えている問題です
この果てしなく続くフェンスは
アメリカとメキシコを隔てている国境の壁です
アメリカへに入国するメキシコの国境には
現在でも毎日数百〜数千人の人々が押し寄せ
移民・難民申請を待っています
歩けばわずか数分で変えられるこの国境は
一部の人には
何年も
場合によっては永遠に越えられない
壁となっているのです
その多くは
自国での暴力や貧困、重犯罪の被害などから逃げてきた
いわゆる移民キャラバンと
日本のメディアで呼ばれている人たちです
:写真はネットからの借り物です
アメリカを出てから1週間
メキシコの国境の街ティファナで
ボランティアをしてきました
わたしがさせてもらったボランティアは
難民の子どもたちと遊ぶこと
サンドウィッチなどの簡単なご飯を作って配ること
手書きの聞き取り書類をパソコンで打ち直し保管すること
というどれも簡単な仕事です
それでもスペイン語が全く話せなかったり
法律に関する聞き慣れない英単語がわからず
不自由はありました
簡単なことも時には満足にできず
なんの助けにもならなかったのが現状ですが
わたしにとっては今まで知らなかったことを自分自身の目で見て考える良い機会となりました
その中で知ることが出来たことを
少しだけ紹介したいと思います
ちなみに、全ての会話が英語で行われていたため
多少、事実と異なる点があるかも知れません
またボランティア中は写真禁止だったので、写真もありません
その点はご了承ください
下の写真の場所がティファナからアメリカへ渡る国境の検問所です
毎朝、このティファナの国境の検問所の少し北の辺りに
数百人〜多い時は数千人の人々が集まります
この人々は、検問所で整理番号のようなものをもらい
毎日、毎日自分たちが呼ばれる順番が来るのを待ちます
呼ばれる人数は定まっていないので
自分の名前が呼ばれるまで、毎朝国境に行き
自分の順番を待つのです
運がいい人は、あまり待たずに順番が来ます
何週間も何ヶ月も自分の順番を待ち続ける人もいるそうです
登録は6時半から始まります
多くの人は、難民キャンプで生活していますが
難民キャンプから国境までは遠く、もちろん歩いて向かうため
朝3時半〜4時、まだ辺りが暗い中
国境へ向かい、そこで何時間も待つことになります
冬の時期のティファナは寒く
薄めのダウンを着ていても肌寒さを感じます
集まっている人の多くの人はトレーナーやセーター、ニット帽などで待っています
(集まっている人全員が難民なわけではないので、一部の人は裕福な服装をしています)
ほとんどの人たちが小さな子どもを連れた家族です
また、難民キャンプもかなり収容の限界を迎えているので
中にはキャンプにも入れず、今日どこで過ごせばいいかもわからない
苦しい生活を強いられている人たちもいます
そういった現状に苦しむ人達が
川原などでホームレスとしてたくさん生活しています
名前が呼ばれてアメリカ側に渡る人たちは
残された他の人たちに手を振り
エールを送られ
自分が持っているものを預け
時には泣きながらハグをして
その様子を見ているだけでも胸にこみ上げてくるものがあります
しかし、名前を呼ばれアメリカ側に行けば
そこで入国が認められるわけではありません
アメリカでは通称ICEと呼ばれる移民税関捜査局に拘留されます
:写真はネットからの借り物です
ICEはコンクリートの窓のない建物で
内部温度を5度くらいの凍える環境に意図的にしているそうです
歯を磨くことも、シャワーを浴びることもできない
凍えるような環境だそうです
(これがアイスと通称される理由です)
アメリカ側に渡った難民たちは
ICEで移民の司法手続きを求める裁判が始まるまで待つことになります
裁判が始まるとまた1度ティファナに返され
そこで次の判決を待つそうです
ティファナに戻れば
また住む場所もなく仕事もなく
明日の身の保証もない不安な生活が始まります
:写真はネットからの借り物です
アメリカに入国することを許可される人々もいれば
最終的に許可されない人々もいます
なぜ、こんなにも大変な思いをしてアメリカへ移ろうとするのでしょうか
中米からの難民は、何千キロという道のりを何週間も砂漠の中を歩き
命懸けでこの国境に辿り着いています
なぜ、こんなにも危ない橋を渡るのでしょうか
自国では命の危険があり、安心に生きていけないからです
エルサルバドルやホンジュラス・グアテマラなど多くの中米の国は、情勢が不安定で
犯罪組織や反政府勢力などの強盗・誘拐・人身売買・殺人などが横行しています
実際に、ボランティア団体に相談に来た人の多くは
重犯罪の被害から命からがら逃げてきた人たちや
身内を犯罪組織や反政府勢力に殺されてしまった人たちでした
もう一度、自分の国に帰るということは、命を落とすということ
まさに命懸けの挑戦なのです
その切実な思いが、寒い中でも、暗い時間からでも
何時間でも何日でも待ち続ける原動力になっているんだと思います
受け入れないということは
消えていく命を見過ごすということ
わたしはアメリカ合衆国の市民ではないので
あくまでノーサイドですが
日本で将来、同じような議論が行われることがあれば
迷わず命を選べる人間でありたいと感じました
People should be treated like people.
ボランティアの方がオリエンテーションで言っていた言葉です
生まれた国や肌の色、言語に関わらず
誰もが幸せに過ごせる日が来るのでしょうか
全ての人に優しい世界がいつか実現されるといいですよね
GOODBYE SAN DIEGO ~トロントからサンディエゴに飛んだあの日~
飛ばない豚はただの豚だ
かの有名な紅の豚ポルコ・ロッソが言い放ったこの言葉が的を得ていたとすると
今の私はわりと飛ぶ豚です
陸路より楽を取ってわりと空路を選びます
ただの豚ではありません
ということで、本日はナイアガラフォールズの上をレインボーブリッジで渡り
カナダのトロントから
アメリカのサンディエゴまで飛んじゃった時のお話です
先ほどまで豚の話をしていたので
トロントがトントロに見えるのは私だけじゃないはず
土砂降りです
もはや滝なのか雨なのかわからないくらい濡れてしましました
カナダ側から見たナイアガラフォールズ
距離はありますが正面から見えるのでいい感じです
とりあえず空がどんよりしすぎです
レインボーブリッジを渡るとそこはカジノ街
ハードロックな感じです
生憎、わたくしはカジノにかけるお金など一銭も持ち合わせていないので
そのままテクテク小一時間歩き
ダウンタウンです
日系レストランがたくさんあります
ヤング・ダンダス広場付近です ヤングな感じが漂っています
歴史ありげなチャーチもたくさんありました
こちらはチャーチかと思いきやトロント市庁舎です
これが一番見たかったやつです
TORONTO
冬になるとスケート場になるそうです
翌日はトロントの街中をぶらり
セント・ローレンス・マーケットです
おいしそうなものがいっぱいです
しかし、生憎、わたしはカナダドルを一円も持ち合わせていなかったので
一瞥して終わります
CNタワーです
おしゃんてぃな建築です
おじさんです
海です
最後はユニオンステーションです
…ってかユニオンステーションありすぎですな
NYでもLAでもユニオンステーションありましたわ~ ややこしい
ほんでそうこう言ってたら、飛行機に乗って、飛べる豚になって
アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ着です
ウォーターフロントパークの夜景です
サンディエゴには米海軍の港もあります
街のすぐ上を飛行機が飛びます
そんなサンディエゴには約1ヶ月滞在しました
次の日記ではまさかのその1ヶ月を1つの日記に仕立てたいと思います〜
そしてサンディエゴを明日旅立ちます~
い〜や〜だ〜
もっとここでダラダラしてたい
飛ぶ豚してたいっす〜!!!
ともがいたところで本日はこの辺で
なんだか適当な日記となりましたな
アディオス~