負の遺産『アウシュビッツ=ビルケナウ』に学ぶ
日本には悲しいニュースとうれしいニュースが流れているようですね
台風の被害に遭われた人々が
一刻も早く落ち着いた生活に戻れるよう祈っています
私はインディアナポリスで1週間ゆっくり過ごし
充分にエネルギーを補充できたので
むしろ補充しすぎたエネルギーが
お腹周りに溜まってきたので
来週からはまたアクティブに移動していこうと思います
今回は少しマジメな話題になりますが
ポーランドでは
を訪問しました
1940年にポーランドに設立され
ヒトラー率いるナチ政党がドイツを掌握していた時代
ドイツの支配下にあった欧州の国の各地から
ナチ思想に「好ましくない要素」とみなされた人々が
ではどんな人々が「好ましくない要素」だったのでしょうか
ナチ独裁の政治に反対する人
刑事犯罪者
社会運動・宗教指導者
ドイツ民族よりも"劣っている"ユダヤ人を始めとする支配下の民族の人々
などです
当時のドイツのナチ政党には
ドイツ民族の優越感と他民族への嫌悪・排他的な思想がありました
アウシュビッツの存続期間(1940ー1945年)に
約110万人のユダヤ人を含む130万人以上の人々が連行され
強制労働、人体実験、虐殺が行われました
第一強制収容所の門
『ARBEIT MACHT FREI』(働けば自由になる)という文字が記されています
しかし、収容所内の生活環境は劣悪で
多くの命が、伝染病や栄養失調で失われました
麻酔なしでの人体実験も行われていたと言われています
絶望の余り、高圧電流が流れる有刺鉄線に触れて自殺する人もいたそうです
1941年にドイツの権力者は『ユダヤ人問題の最終的解決』を決定します
これにより、年齢や性別・思想に関係なく
全てのユダヤ人が強制的に連行され殺害されました
その大量殺害の最終手段がアウシュビッツでの毒ガスによる虐殺でした
『死の門』と呼ばれるビルケナウ収容所の進入門です
罪のない多くの人が列車で強制的に連行され
労働力になるとみなされた人
労働不能とみなされた人ー子ども、老人、障害者、病人、妊婦などー
の判断が行われました
労働不能とみなされた人々は連行後すぐにガス室で殺されたと言います
ガス室へ向かう人々の写真です
毒殺された人々は、ガス室へ入る直前まで
「消毒と洗浄のためのシャワーを浴びる」と先導され
毒殺されるとすぐに焼却炉で焼かれたそうです
ビルケナウのガス室と焼却炉です
大量虐殺の証拠隠滅のためにドイツ軍により破壊されています
私自身はなんとなく写真を撮ることが出来ず
ネットからお借りいたしました
実際に使われた毒ガスの写真です
ツィクロンBというこの毒ガスで
多い時期には毎日6000人ものユダヤ人が殺されました
個人の名前が書かれた旅行カバンです
「帰るときに、自分の荷物がわかるように」
大量のマグカップ、食器、歯ブラシなどの生活用品がありました
自分たちがすぐに虐殺される運命にあることは
誰も知らされていなかったことがわかります
眼鏡や義足など、お金に変えられるものは回収され、保管されていました
女性の髪の毛は集めて袋に詰め込まれ
布の材料として売られました
命を命と思わない、残酷すぎる行為です
残酷な歴史を知り
このような歴史が繰り返えされてはいけない
ということは誰しもが認識している現代
しかし、現在でも世界のどこかで
常に罪のない人が紛争や戦争
環境問題や飢餓、貧困など
様々な問題で苦しんでいます
自分たちの平和だけでなく
誰もの平和のためにできる一歩を考えられる自分でありたいと
深く感じた訪問でした